口頭コミュはサービス業向けの生産ツール
口頭コミュニケーションって文盲でも可能なのに、何故より高度な文章コミュニケーションより高いランクに位置付けられてるんだろうか。
考えられる理由は、
文章より「早く」意思伝達できる
声のトーンや調子で文章の数倍 感情を伝えられる
ということは、主にサービス業向けの生産ツールってことだね。
「手の届かない夢」のレベル
今抱えているものを抱え続ける場合、月に38万円必要なことが計算でわかった。
対して予想収入は手取り20万円。約1/2だ。
破綻を通り越して「手の届かない夢」のレベル。
感情容量を有効に
ついでに寄りたいところ
来週中に会社の本店まで行かなければならない用事があるんだが、
ついでに新宿にある信用情報機関に寄りたい。
ここの信用情報は郵送でも取り寄せできるのだが、決済方法が限られており、自分には実行できない。
直に行って手数料1000円だかを払うと、その場で持ち帰れる。
でも直に行くのも一つ問題があって、信用情報に載っているのと同じ「電話番号」で情報を照合するらしく、その電話番号が必要となるのだ。
当時の電話番号は分かるには分かるが、固定と携帯どっちを記入したのかもう忘れたなーと書いていて気づいたのだが、一件一件に書かれた電話番号のすべての一致が必要なのではなく、個人を特定する一つの要件としての電話番号なので、固定と携帯、最悪2000円出せば調べられるわけだな。
発見。
まずはソフトを工場出荷時に再インストール
自分の意思でソフトウェア上の人生を終わらせることができる。
例えば、これまでの人脈をすべて捨てるとか。
人生のハードウェア上の幸福って、金持ちも貧乏人も体感はそう変わらないんじゃないか?
美味いモノ食ったって3分後には食ったこと自体忘れているんだから。
社会的な承認欲求みたいなものは、20世紀後半から広まった拡張された欲求の一つなので、持って生まれた感覚(たいていの人は五感)を維持しているとかの幸福に不可欠な感覚ではないですね。
であれば、無くても幸福は感じられます。
でもハードウェア(体)を消滅させちゃうとソフトウェア(自我)も消えちゃうから、消すんだったらまずは先にソフトウェアを工場出荷時に戻すインストールの方を試みましょう。
それでもいまくいかなかったら、ハードウェアの消去を60歳くらいから考え始めましょう。
というようなことをこのブログ記事のタイトルを見て思いました。
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それではごきげんよう。