雇用ロンダリング

今日も図書館の読書室で企業概要書作成。あんまり進まなかった。

雑誌コーナーでヤマト運輸特集の週刊東洋経済読んだ。

 

巻頭にこんな広告記事が載っていた。

toyokeizai.net

 

主に、新卒でサービス業に就業したが過酷で辞めて「もうサービス業はこりごり。事務職に就きたい。。」と希望する20代の女性を自社で無期雇用して事務職向け職業訓練をさせ客先に派遣しているとか。

 

読んで思い浮かんだ言葉が

雇用ロンダリング

 

このあたりがやばい。

「登録型事務派遣のスタッフの平均年齢は、10年前は30歳でしたが、現在では40歳と高まっています。しかも、これまで多くの企業では一般職の採用を絞ってきたため、いまは主任クラスの事務職正社員の方よりも、派遣スタッフのほうが年上となるケースも増えています。その点、ミラエールがキャリアの浅い若年層女性が中心であること、さらに政府が提唱する働き方改革が進む中で、多くの企業の新たなニーズを吸収できていることが大きな特徴となっているのです」 

 違法に得た資金を洗浄して合法に使えるようにするのがマネーロンダリングだが、このサービスがやっていることは「偽装請負」&「年齢差別と性別差別」を合法な雇用に洗浄して利益を得ている訳で、やってることはヤクザと同じ。

差別を助長してる(というか現金化している)のはヤクザよりタチが悪い。

 

このサービスを「顧客企業のニーズに応えて」提供しているスタッフサービスは、2007年12月からリクルートホールディングスの孫会社(親会社はスタッフサービスホールディングス)であることを記して了。

10代後半と音楽

今日は12時過ぎから図書館の読書室で融資申請のための企業概要書を作って、17時過ぎに帰路についた。

 

かなり財布が寂しいので帰りは1時間かけて歩いて帰った。

気温もちょうどいい感じだったので、昔(大昔か)学校の帰りに歩いて帰った急斜面の坂のあるルートで帰った。

 

帰路、自然と好きな歌を口ずさんでいた。

 

大人になってから自分の稼いだ金で沢山の作品を買って、同じくかなりの数のライブに足を運んだ。音楽は深く掘れば掘るほど素晴らしい作品に巡り会えて、その発見も実際に音楽を聴くことと同じくらい楽しかった。

 

それでも、こんな自己存在の危機のような切羽詰まった状態の中で意識せず自然と口ずさんでしまうのは、どれも10代後半(のさらに後半)に聴いた歌ばかり。

 

自分は10代前期から18才になるまで、音楽に救ってもらったと思っている。

救ってもらったの意味を解説するのはとても長くなるので、誤解されるのを良しとして短くいうと

音楽を聞き続けることで自殺しないで済んだ。

 

今では思春期にみられるソレ系の話ということで事務処理できるが、当時はまさに死活問題だった。

 

音楽に身の周りにの現実には存在しない救いを求めていたんですね。

学校とか、異性とか、将来像とか、そして親からの評価を否定してくれる何かを求めてひたすら音楽を聴き続けましたね。(音楽に逃げたとも言うのかも)

 

当時は最初の「学校」生活に対してのアンチを求めていた感覚が強かったけど、今日思ったのは、根底には父親の自分への無関心に対して抗っていたのではないかなと。

 

いずれにしても、自分は父親と同居しない方がお互い心穏やかに暮らせるのは確かだ。彼もそれを望んでいるはずだ。

ググったら、誰の言葉か知らないけどこんな言葉が見つかった。

 

「愛の反対は憎しみではなく、無関心」

 

 

 

ストレスの外部放出方法

ストレスを外部放出させる方法って人によって癖や属性別に分けられるだろう。

別のストレス源(酒やタバコなどの薬物)を血管経由で物質投入してストレス同士で殺し合いをさせるとか、運動して時の経過とともに忘れるとか。

 

どうせ放出に時間をかけるなら、将来への投資になることに費やしたいよね。

 

以上

15才頃

20日ぶりくらいに父親と過ごす時間が多い日だった。

 

この人については、ずっと「何が楽しくて生きているんだろう?」と思っていて、その念は今でも変わらない。

親子であっても、人の生き方は唯一無比のユニークIDなので、本人の意思で選んだ生き方を批判するつもりはない。(虐待や暴力、刑事事案などは除く)

 

15才くらいまでは、父親以外の大人の男をほとんど見ずに生きてきたので、自分も将来は父親と同じ職業に就くのだろうなー、他にできそうな仕事もなさそうだしなーと思っていて、たしか高1の進路面談に臨むにあたって、それを具体的な像にしかけたこともあった。それが当時の自分としては「(身)分として」自然な成り行きに思えた。

 

結果はそうしなかった。(芳しくない結果に終わりそうだが)

 

で、ここからが本題。

今日父親と過ごした時間の中で、この、15才頃当時と同じ空気に包み込まれた自分を発見した。

 

(明らかに自分の意思ではない)その空気に包み込まれたまま残りの人生を生きるのも、自分の選んだ生き方の燃えカスにかすかに残った火種を消さないように息を吹きかけ続けて燃え尽切るのも人生。

 

父親と二人で晩飯を食った後までは前者の気分だったが、風呂に入った後に15才頃当時の空気を思い出した後にそれを否定する気持ちになった。

 

当時とは自分のリソースも外部環境も異なるし、選んだ結果を受け入れることを覚悟しての選択となるので、今この空気の元で選択をするのは躊躇する。

 

決断は数日寝かせましょうか。

派遣会社抜きすぎ

今から賃金労働者に戻っても幸せになれないから、一発狙っている。

 

そのためにはストレス最小の仕事を見つけて、副業できる環境を作らなければならない。

 

ある派遣求人の派遣会社の惹句に「非常にやりがいのある業務です」って書いてあったのだが、交通費自腹の時給1550円が「どうやりがいがあるのか?」教えてもらいたいね。

 

2,600円で派遣会社が仕事受けて、派遣に6掛けの額面1,550円支給して、そこから社会保険料・税金引かれて、派遣の手取りは1,170円(発注額の42%)。

 

以上

 

非定型発達と職人

今日は朝5:30すぎに外部要因で起こされて6時間しか眠っていなかったので腰の痛みが顕在化した。

朝5:30に起こされることを前提に22:00に床に就かなければならない。

 

タイトルについて。

 

日本が敗戦してから1990年過ぎに低成長時代に入るまで、日本の産業は「ものづくり」が大勢だった。(*大雑把)

ものづくりの主役は製造現場の職人さん。

職人さんは自分の仕事さえこなせば任務終了なので非定型発達者にとっては、戦う相手は過去の自分や職場の先輩後輩という、とても見晴らしの良いキャリアがあった。

私生活で多少問題行動があっても、与えられた仕事さえ成果を出していれば脳の神経伝達に問題がある障害者とは見做されなかった。

低成長時代に入ると職人さんが作った物が売れなくなった。

職人さんの募集も減った。

非定型発達の受け皿であった職人さんが減ったため、非定型発達は定型発達と同じ仕事をやらされるようになった。

向精神薬の市場が広がったのはこれが最大要因なのではないか。

という仮説。

 

製薬会社と心療内科がグルで市場開拓して患者創造してる面も一部あるが、

職人の減少の方がしっくりくる。

 

以上雑感、けっこう大雑把。